横地城跡

所在  静岡県小笠郡菊川町東横地

交通  JR東海道線菊川駅よりバス神尾公会堂下車

歴史  横地城は平安時代の終わり、八幡太郎義家の庶子、太郎家永がこの地に

     住し築いたとされる。

     横地氏は分家した勝間田氏とともに東遠地方の開拓領主してこの地方一帯

     の統治を進め、最盛期には天竜川流域・犬居・佐久間地方もその勢力下に

     置いていたという。

     1467年、京都にて勃発した応仁の乱は東駿まで影響を及ぼし、横地・勝間

     田氏は西軍に与して、駿河で勢力を伸ばしていた東軍の今川義忠と対立する。

     文明八年(1476)、今川義忠は大軍をもって横地城を包囲。奮戦虚しく横地

     城は落城した。これにより約400年続いた横地氏は滅亡し、一族は離散した

     という。

     なお、横地城落城年には異説がある。

       横地城跡遠望

       横地城跡石碑

       井戸跡

 

一言  横地城跡は牧の原台地の西側に位置し、標高100mほどの丘陵城郭である。

     城域は広大で東西約2kmにわたり、東の城(本丸)・現在横地神社が建立され

     ている

     西の城(二の丸)・中の城・木戸跡・千畳敷が残るほか、堀切・土塁・空掘が至る

     所に残存している。城域はハイキングコースとして整備されており、また比高も

     余り無いことから楽に遺構を確認出来る。

     西の城(二の丸)からは今でも落城時の焼米が出土するという。

     なお、逃散した横地氏の末裔には後北条氏の配下となった者もおり、中でも横地

     監物は城主北条氏照に代わり武蔵八王子城守将として豊臣軍の侵攻に対した。

       千畳敷にある石碑

       土塁跡

       東の郭に建つ横地神社(鳥居)

 

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