社山城跡
所在 静岡県磐田郡豊岡村杜山
交通
歴史 社山城の築城年代については諸説あるが、『宗長日記』・『遠江国風土記伝』の
記録などから「二俣近江守昌長による文亀年間頃の築城説」が有力である。
室町時代後期、杜山城は当時遠江・駿河を所領していた今川氏の支配下に置
かれていたが、今川義元が桶狭間にて落命すると城は三河より侵出した徳川氏
のものとなる。
元亀三年(1572)甲斐の武田信玄は上洛を目指し遠江に侵入、徳川氏と武田氏
の間でこの社山城をめぐる争奪戦が繰り広げられたとされるが、天正十年(1582)
に武田氏が滅亡すると社山城の存在価値は薄れ、家康関東移封と時を前後して
廃城になったという。
社山城跡遠望
社山城跡木碑
社山城跡本丸跡
本丸跡に建つ八幡神社
一言 社山城跡は標高約130mの山頂を中心にして築かれた山城であるが、城跡付近
まで車道が整備されており、車から降りて約10分程で本丸跡に到達できる。
現在、八幡神社の鎮座する場所が本丸跡で、二の丸跡・帯曲輪の遺構が残るほか、
土塁・空堀・堀切が至るところで確認できるのみならずその保存状況は非常に良好
である。
社山城跡二の丸跡
社山城跡帯曲輪
社山城跡堀切跡