勝山・谷村城跡
所在 山梨県都留市川棚字城山
交通 富士急行鉄道谷村町駅下車
歴史 勝山城の前身は坂東八平氏の一つ秩父氏の分流、小山田氏の居城谷村城の詰城とされ、小山田氏
は室町時代から戦国時代末期にかけてこの地統治していた。
天正十年(1582)、甲斐武田氏が滅ぶと当主小山田信茂も織田軍により処断され、小山田氏の郡内
支配は終焉を迎える。
その後の郡内地方は北条氏そして徳川氏の支配化に置かれ、家康関東移封後は豊臣氏が治めること
になる。
文禄三年(1593)、浅野左衛門左氏重が本格的城郭形成に着手し、慶長五年(1600)以降は徳川家臣
鳥居成次・成行がこの勝山城を所領した。
以降、本堂氏・秋元氏らが治めたが、秋元喬知が川越移封となった宝永元年(1704)に廃城。この地
には陣屋が置かれ、郡内地方の統治に当たったという。
勝山城跡
勝山城跡石碑
本丸跡に建つ東照大権現
一言 勝山城跡は都留市役所より富士急行線を挟んだ裏山に残り、標高は約570m。麓より本丸跡まで徒歩
20分くらいであろうか。
城跡は東照宮が奉られている本丸の他、二の丸・三の丸・帯郭・土塁・空堀等が残るが、江戸時代中期
まで存続した城ということもあり、遺構が明確に残っている。
なお、谷村陣屋は現在の都留簡易裁判所付近にあったという。
勝山城二の丸跡
勝山城三の丸跡
勝山城帯郭跡
簡易裁判所は陣屋跡