上野原城跡

所在  山梨県北都留郡上野原町上野原

交通  JR中央本線上野原駅より徒歩20分

歴史  上野原城の成立は平安時代後期、武蔵七党の一つ横山党横山権守隆兼の子重忠が甲斐国都留郡古郡

     の別当大夫となり、この地を治めた頃とされる。

     重忠及びその子は古郡姓を名乗り上野原全域を支配下に収めるなど勢力を伸ばすが、三代保忠は建保

     元年(1213)に勃発した北条義時・和田義盛の戦いにて義盛に加担、敗れて一族は滅亡する。

     のち上野原城に入城したのは藤原鎌足の末裔とされる加藤氏で、くだって戦国時代には甲斐守護武田氏

     の客将として廿里合戦・三増峠合戦(共に対北条氏)に参陣、戦果を挙げ、その後も甲斐相模の国境に当

     たるこの地を守ったという。

     天正十年(1582)武田家滅亡の折り、加藤氏は上野原城を捨てて武蔵箱根ヶ崎に逃亡するが、土一揆の

     襲撃により滅亡したという。

       上野原城跡に建つ稲荷神社

       城域に中央高速道が通り、旧状を止めていない

 

一言  別名内城館ともいい、鶴川を天然の堀とした断崖上に築かれた丘城であったとされるが、現在城域には

     中央自動車道が縦断、旧状を全く止めていない。

     また周囲も宅地に変貌し、稲荷神社の前に立つ説明板が上野原城があったことを示すばかりである。

       周辺は宅地になり遺構は確認出来なかった

 

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