宇津山城跡

所在  静岡県湖西市入出

交通  JR東海道本線鷲津駅よりバス入出下車

歴史  宇津山城は大永年間(1521~28)、当時遠江を治めていた今川

     氏親が家臣朝比奈紀伊守泰満に命じて築かせたとされる。

     今川氏は三河進出にあたり、浜名湖西岸に位置するこの地を選んだ

     とされるが、当時の情勢は必ずしも今川氏にとって良いものではなく、

     三河に勢力を誇っていた戸部氏らの激しい抵抗にあったとされる。

     のち、勢力拡大によってこの宇津山城周辺はもとより、三河中部をも

     支配化に治めた今川氏だったが、桶狭間合戦により当主義元が陣没

     するとその勢力は急速に衰える。

     永禄十一年(1568)3月、この宇津山城も三河にて今川氏より独立した

     徳川(松平)氏により攻められ、城将小原肥前守鎮実と城兵は小船に

     乗って湖上に脱出したという。

     以降、徳川一族が宇津山城の城番を勤めるが、やがて家康が浜松城

     を築いて遠州統治の中心とした後は自然廃城となったとされる。

       城跡の麓に建つ正太寺

       耕作地となった東側城跡

一言  城跡は浜名湖の西岸、湖に舌状に突き出た半島の先端に残る。

     麓には禅寺正太寺が建っており、この正太寺を中心として東西の裏山が

     宇津山城跡である。

     東側城跡は耕作地と転用され、その遺構は見るべくもないが、一方、東側

     城跡より高いところに位置する西側城跡には土塁・堀切、本丸・二の丸等

     の遺構が確認できる。(一部、正太寺の墓地として利用されているが)

      なお、城跡からは浜名湖が一望でき、浜名湖周辺を監視するためには、

     この宇津山城の利用価値は高かったのではないかと推測できる。

      西側城跡に建つ銅像(今川氏親?失念...)

        宇津山西城跡土塁跡

      城跡より浜名湖を望む

 

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