富部城跡
所在 静岡県掛川市富部
交通 天竜浜名湖鉄道桜木駅より徒歩20分
歴史 富部城は久貝市右衛門正勝によって天文年間に築かれたとされる。
久貝市右衛門正勝の父正好は美濃にて討死、正勝は弘治三年(1557)頃に
遠江に移り住んで今川義元に仕え富部に所領を得たとされる。
今川氏没落後は徳川家康に属して戦功を立てるが、正勝は天正十五年(1587)
に没して自ら開いた白泉寺に葬むられた。
のち、久貝氏は正勝の子正俊が継ぐが、家康関東移封に伴ない富部の地を去る
ことになり城は廃されたとされる。
なお、久貝氏の子孫はその後も栄えて五千石を越える知行を得る旗本として続い
たという。
富部城跡遠望
城跡は微高地に(木の裏に民家が)
一言 城跡の位置として『日本城郭大系』には「白泉寺の南西600mの所」との記述があり、
それを頼りに訪城を開始。
途中、集会所に地元の方々が集っていたので話を伺うと、「このすぐ先」との答え。
その地に行くと周囲と比べてやや微高地に民家。
さらに確認すべく、散歩中の方に話を伺ってもやはりその民家が城跡だという。
ただ民家を公開するのも憚れるので、遠望そして民家が写らないように画像に収めた。
(なお、民家ということで遺構も確認していません。)
久貝氏開基の白泉寺