徳山城跡

所在  静岡県榛原郡中川根町無双連山

交通  

歴史  徳山城は南北朝時代、在地土豪の鴇氏によって築かれたとされている。

     鴇氏は駿河安倍城主狩野介貞長らとともに南朝に属して北朝側今川範氏に抵抗していた。

     文和ニ年(正平八年・1353)二月、今川範氏は伊達景宗らの援軍とともに徳山城攻城

     に着手し、先ずは徳山城周辺の萩多和城・護応土城を落城させる。

     護応土城落城から5日後には徳山城の攻撃を開始、2月25日夜、いよいよ徳山城は落城し

     城将鴇彦太郎らは逃散したとされている。

    徳山城遠望(無双連山)

    無双連山山頂

    徳山城跡塁跡

    徳山城跡殿屋敷跡

    大手門跡付近

    殿屋敷跡

    徳山城跡塁跡

    城跡北側に位置する清水砦跡

一言  徳山城跡は標高1083mの無双連山山頂を中心に築かれた山城である。

     城跡一帯には中川根町教育委員会にて設置された碑がいたるところに建っていることもあり、

     大手門・塁跡・殿屋敷等の遺構も容易に確認できる。

     城跡へは北側より登城したが、清水砦跡・極めて狭い道が続く犬戻りを通じて本丸に向かう事

     になる。ただ登城当日は運悪く突風が吹き荒れ、左右の崖下を目にする度に足の竦む思いをした。

     (犬も戻ってしまうほどですから)

      ハイキングコースとしても整備されているこの無双連山、山頂では高齢の男女ばかり約20名が 

      落ち葉に身を沈めて寝ていた。

     『自然愛好会』系の、慣例なる所業なのやも知れないが...ちょっと不気味さを感じて声を掛けず。

    犬戻り跡

    徳山城跡陣屋平

    城跡より中川根町方面を望む

    堀切跡

    冬場は下草もない登城口だが... 

    夏はこんな感じ。 

 <後記>

   徳山城跡のある無双連山には伐採した樹木搬送のための林道がいくつも敷設されているの

   だが、その殆どが未舗装の林道。悪路で轍は高く、乗用車の腹を擦りまくり。更には、伸びた

   枝で車体を傷つけた。

   また、林道の何処をどのように進めば登城口に辿り着くか解からず、登城口発見までにはかなり

   の訪問日数を要することになった。(そのおかげで無双連山南に位置する石上城跡を数度訪問)

   そしてある日の夕方、やっと駿河徳山駅方面からの林道で登城口まで辿りついたが、天候悪く、

   また日も落ちかかっていたのでその日の登城は断念。その数週間後、改めて駿河徳山駅方面

   から登城口に行こうとすると、なんと林道崩壊のため通行止め。

   結局、無双連山東側の富士城方面からの林道を発見し、ようやく登城を果たした。静岡市街から

   でも車でゆうに1時間以上かかるんですよ、本当に。

 

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