鳥羽山城跡
所在 静岡県天竜市二俣町
交通 天竜浜名湖鉄道二俣本町駅より徒歩10分
歴史 鳥羽山城の歴史は天正三年(1575)、徳川家康がこの地より北東700mの
地点にある二俣城奪還の為に築いたのが最初とされる。
当時、二俣城は元亀三年の攻防により武田氏の手に渡っていたが、設楽が原
合戦にて武田軍が大敗すると形勢は逆転し、徳川氏はこの鳥羽山城のほか毘
沙門堂砦・蛯原砦・和田ヶ島砦を築いて二俣城を包囲することとなる。
武田方の依田信守・信蕃父子は徳川軍の攻撃をよく防いだが、武田氏の援軍を
得ることが出来ず6ヶ月に渡る籠城の末に城を退去。二俣城は再び徳川の支配
下となる。
二俣城が徳川氏に渡ったあともこの鳥羽山城は二俣城の出丸として利用され、
二俣城城主大久保忠世により拡張・整備される。
のち忠世が関東に移封された天正十八年(1590)、鳥羽山城は廃城になったと
の説がある。
鳥羽山城跡本丸跡
周囲に残る石垣
一言 鳥羽山城跡は標高108mの小山に築かれた山城で、現在は鳥羽山公園として整
備されている。
遺構としては本丸周囲を巡る石垣・二の丸・建物の礎石・井戸跡が残り、また庭園跡
が発掘されたことから城館的要素も多分にあったとされる。
なお、廃城時期については前述の大久保忠世移封時とする説が有力だが、一方、堀
尾氏が浜松一帯を領有していた天正年間末期〜慶長年間初期とする説もある。