高根城跡

所在  静岡県磐田郡水窪町地頭方

交通  JR飯田線向市場駅下車徒歩1時間

歴史  高根城の歴史は南北時代、遠江南党で浜名湖北部で活躍した奥山六郎次郎朝藤の子奥山

     金吾正定則が由幾良親王に供奉して奥山郷に土着し、城を創建したのが最初とされる。

     奥山氏はその後4つに分派し、各々高根城周辺に城を築いて所領統治を行っていたが、やがて

     同族同士反目し合って勢力争いを繰り広げたという。

     戦国期、奥山氏は犬居城主天野氏の被官となっていたが、永禄年間中期(1565年頃)、武田

     方に属した信州の遠山土佐守に攻められ落城した。

       高根城跡遠望

       木造模擬天守

       曲輪の周囲には柵が復元されている

       整備されたニの曲輪と復元された柵

一言  高根城跡・別名久頭郷城跡は水窪郷を見下ろす標高約420m、比高約150mに位置する典型

     的な山城である。

     城域一帯は高根城公園として整備され、木造模擬天守閣のほか、コンクリートでコーティングされ

     た(こんな表現でいいのか?)曲輪・土塁・堀切・空堀跡、塀や柵などが復元されている。

     とかく史実を無視し、「城跡だから天守閣!」とばかりに訳の解からない白塗り・白亜の天守閣を

     造ってしまうピントのずれた教育委員会が多い中、このような整備の仕方も“アリ”なのではないか。

     (コンクリート・コートも、『遺構の保存』という観念のもと行われたと思う。また、中世土豪の山城が

     どの様なモノだったか、初心者には解かり易い整備方法だと思う。)

     また、訪れた時は『あいにくの雨模様』だったが、その眺望は素晴らしいものがあった。 

       復元された塀

       堀切跡

       城跡から水窪郷を望む

 

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