田子・小松城跡

所在  静岡県賀茂郡西伊豆町田子字唐太(田子城)・西伊豆町大田字(小松城)

交通  

歴史  小松城は海賊城の田子城の詰城として室町時代中期に山本飛騨守によって築かれた

     とされているが詳細は不明である。

     天正十八年(1590)4月、豊臣秀吉の小田原包囲戦に際し、徳川水軍向井兵庫が田子

     城を攻めたが、城兵の抵抗に遭い向井兵庫は矢傷を負ったとされる。

     ただ、兵力差はいかんともし難く、城主山本信濃守常任は城を捨て逃亡したとされる。

       田子城跡付近

       田子城跡の遺構は確認出来ず

一言  田子城跡は田子湾に突き出た岬の先端地にあったとされるが、遺構は確認されていない

     という。

     また、小松城跡は田子上バス停のすぐそばの畑が城地とされ、バス停付近の自動車販売

     店付近が城門跡という。

     城域一帯は畑や住宅地に転用され、畑の中へは地元の人に案内していただいた。

     畑の一画には「『絶対に動かしてはいけない』と伝わる石があり、「所以は解からないが、

     この石は城に関係するもので、動かしてはいけないと昔から伝わっている」と説明を受けた。

     それ以外、城跡を連想させるものはなにも無い。

       小松城跡一帯

       城跡主要部は畑に

       畑の中にある「動かしてはいけない石」

       城門跡地

      なおバス停付近に小松城跡を記す標識があるが、それ以外に城地を示すものはなにも無い。

      当初、その標識の矢印の示す方向に従い、山中に目星を付けて畑・雑木林をどんどん突き進み、国道より

      とんでもない距離まで進んだが遺構は確認できず。(「石積み?」と思いきや、炭焼き小屋の跡だったり、物見

      岩?と思いきや単なる巨石だったり)仕方なく諦めてバス停付近に戻るとそこが城地であった。

      おいおい!しっかり標識を建ててくれ!との思いをグッと堪えて握り拳を作ってみたりして。

       国道交差点にある城跡を指す標識

 

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