横山城跡
所在 静岡県静岡市清水谷津ニ丁目字城山
交通 JR東海道線興津駅よりバス谷津下車
歴史 平安時代末期よりこの地に土着し、一帯を統治した興津氏は今川氏の被官となって
各地を転戦、戦功を挙げたとされる。
その興津氏が延文年間(1356〜1361)に築いたのがこの横山城とされ、それまで
の興津館より本拠を移し、以降約150年に渡り横山城に拠って統治を行った。
今川義元死後の永禄十一年(1568)、武田信玄は三度目の駿河侵攻に着手し、
来攻により横山城は落城、興津氏は城を追われることになる。
横山城を奪取した信玄は横山城に一族衆の穴山梅雪を配して城の改修を行ったと
され、氏真救援の為に駿河に兵を進めた北条氏康軍に対する押さえの城として利用
した。
のちの武田氏による駿河支配確立後も横山城は駿河と甲斐を結ぶ街道を監視する
城として、また、穴山梅雪の本領地である下山と駿河中心部に築いた江尻城を結ぶ
繋ぎの城として重視されていたが、天正十年(1582)、武田氏滅亡とともにその役割
を終え廃城になったという。
横山城跡遠望
城跡碑
説明板横の道から登城
本丸跡
一言 横山城跡は興津駅から北へ約2km、標高約100m平山城であり比高は30m程で
あろうか。
登城は説明板・石碑の建つ西曲輪方面から開始した。途中、石積みや削平地があ
るが、近年になって手を加えれられたところもあり、即ちそれが当時のもの・曲輪跡
かは判別できず。また、本丸跡は雑草に覆われており、その中に群生している野バラ
により到達は困難を極め、下草により遺構の確認もままならない。
(初めて行った時は夏場でとても行けるような状況ではなく、冬場でも画像の状態)
ただその中でも、当時のものと思われる削平地(曲輪跡)や堀切・空堀等の遺構が
確認できる。(城山南にあったとされる居館跡も住宅地となって旧状を窺うことはできない。)
なお、城跡へは国道55号を興津方面から北上し、新幹線のガードを潜った先に
あるコスモ石油のスタンド手前に斜めに入る道があり、その突き当たりが城山である。
空堀跡
石積み跡か?
堀切跡