菅沼城跡
所在 山梨県南巨摩郡中沢町寺沢
交通 JR身延線甲斐岩間駅よりバス中富町役場
歴史 天正十年(1582)六月に起った本能寺の変直後、甲斐侵攻を目論む徳川家康は、岡部次郎右衛門正綱
に命じてこの地に城を築かせたという。
家康は家臣の菅沼定政に富士川筋のこの地の統治を命じ、相模北条氏に備えた。元来、河内地方は穴山
氏の領地で、本能寺の変後、京都において穴山梅雪が落命すると、領地はその子である勝千代に引き継が
れるが、勝千代も夭折してしまい、菅沼定政が治めることになったという。定政は天正十八年、家康関東移
封に伴ない下総相馬に移封されるが、菅沼城自体はその後十年間存続し廃城になったとされる。
菅沼城跡遠望
菅沼城跡(現中富中学校)
一言 菅沼城跡は富士川を眼下に望む舌状台地に築かれ、比高としては約30mほどであろうか。
城跡の本丸跡には現在、中富中学校が建っている。その他の遺構を確認しようかと考えたが、学校敷地内と
いうことを考慮して諦めた。なお、校庭南側は二の丸跡で、多少なりの遺構が残っているという。
本丸跡には校舎が建っている