鶴箇城跡
所在 静岡県磐田郡佐久間町浦川字川上
交通 JR飯田線東栄駅下車徒歩20分
歴史 『庄田家由緒書』では鶴箇城の築城年は永禄八年(1565)とするが、詳細は不明
である。この書では城主として鶴山大弾正の名を挙げているが、一方、同じく鶴箇
城に関する記録が見られる『山田家由緒書』では、城主は鶴ヶ山大磯丞であったと
している。
永禄十一年1月、別所城城主伊藤源太郎貞次は菅沼定景の援軍を得てこの鶴箇城
に攻め寄せる。
翌2月、城主鶴山(鶴ヶ山)氏は城兵の命を助けることを条件に開城し、城主は切腹
したという。
鶴箇城遠望
本曲輪に奉られている祠
本曲輪土塁
ニの曲輪跡
一言 鶴箇城は標高340m、相川と吉沢川に囲まれた地に残る山城で比高は30mほどで
あろうか。
半径30m程の円形の本曲輪跡には祠が奉ってあり、東側は急斜面となっている。
本曲輪西側には二の曲輪が残存し、そのほか南側・北側にも小規模な曲輪跡が
確認できる。そのほか本曲輪周囲の帯曲輪・土塁・堀切・虎口部が確認できるなど、
遺構の状態は良好である。
なお、「城を下から見上げると『鶴が舞い降りたように見えた』ことから城主は鶴山
(鶴ヶ山)氏を名乗った」との伝承も残る。
帯曲輪跡
虎口部
城跡へは東栄駅前の国道を北に進み静岡県に入って県道9号を右折、天竜方面へ進み、飯田線の鉄橋を潜って200m
ほど進んだところで左へ。更に300mほど進んだ右カーブのことろに車を止めることができるくらいのスペースがあり、
そこから山に入ると行けます。