賤機山城跡
所在 静岡県静岡市大岩町・昭府町
交通 JR東海道本線静岡駅よりバス赤鳥居下車
歴史 賤機山城は南北朝時代、北朝に属していた今川範忠によって築かれたのが最初とされる。
当時、この賤機山城の北に位置する地には安倍城があり、安倍城主の狩野氏は南朝に属していた事から
賤機山城は安倍城に対する押さえの城として築城されたとされている。
のち、今川氏の駿河における支配体制が固まると賤機山城は府中館(今川館)の詰城として使用されるが、
永禄十三年(1570)甲斐の武田信玄の侵攻により府中館がその手に落ちると賤機山城も落城し、城は武田
氏の管理下に置かれることとなる。
天正十年(1582)武田氏が滅び替わって徳川氏の駿河支配が確立するが、賤機山城はその直後に廃城に
なったと考えられている。
賤機山城跡主郭部一帯
賤機山城跡石碑
堀切跡
一言 賤機山城跡は静岡市街の北、今川氏歴代の菩提寺である臨済寺の裏手にあたる標高約170mほどの小山が
その地である。城の縄張りは南北に伸びる尾根上に3つの曲輪を配した作りとなっており、遺構としては土塁・
空堀のほか、堀切・虎口等が確認出来た。
城跡への道はハイキングコースとして設定されているので麓から登るのもよいが、賤機山北側にある車道(ミカン
畑用の車道?)を使うと山の中腹まで行く事が出来る。
城跡より静岡市街を望む
今川氏歴代の菩提寺、臨済寺