白鳥山城跡

所在  南巨摩郡富沢町白鳥山

交通  JR身延線十島駅より徒歩1時間半

歴史  白鳥山城は戦国時代初期、甲斐武田氏の南下の抑止を目的に今川氏が築城したものと

     されている。今川氏衰退後、城は武田氏の手中に収められるが、武田氏は引き続き甲斐

     と駿河を結ぶ烽火台として重用されたと考えられている。なお、廃城は武田氏滅亡の天正

     十年(1582)頃であろうか。

     なお、白鳥山城には武田軍が今川氏の敵兵の目を欺くために白米を使用して川に見せか

     けたという“白米伝説”が残っている。

       白鳥山山頂

       山頂に建つ烽火台跡説明板

       横堀阻塞跡

       土塁跡?

       障子堀の一形態?の“不思議な盛土”

一言  城跡は山梨県と静岡県の県境に位置する標高567mの白鳥山山頂一帯に築かれた山城

     で、現在は『白鳥山森林公園』として整備されている。

     山頂には富沢町が建てた烽火台の案内板が建っているが、単なる平場となっており遺構は

     確認できない。

     また、山頂駐車場付近から始まる遊歩道“池代コース”を進むと「横堀阻塞跡」や「不思議な

     盛土(障子堀の一形態)」の案内が現われるが、何とも城郭遺構としては判然としない。

     城跡(山頂)へは道が整備され車であれば難なく行けるが、センチュリー富士ゴルフ倶楽部

     の敷地内・コースを横目に車を進める事になり、途中、「本当にここを進んでいいのか?」と

     の逡巡も。(途中には案内板があるが小さくて見づらい)

     なお、城跡からの眺望は素晴らしく、富士山を正面から見据えられる格好のビュー・ポイント

     としてハイカーの人気も高い(らしい)

 

       山頂より富士山を望む

       山頂付近には駐車場も整備され、車なら難なく行ける(道を間違えなければ)

       「石積みの遺構?」と思いきや、山小屋番人跡

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