下曾根館跡
所在 山梨県東八代郡中道町下曽根
交通 JR中央本線甲府駅よりバス博物館下車
歴史 室町時代中期、甲斐国主武田信重の子賢信は下曽根に領地を与えられ、下曽根姓を称して領地経営
を行う。その後も下曽根氏は続き、甲斐武田氏の親族衆として甲斐各地を転戦することとなる。
戦国時代には信玄の外侵に従い、一族の下曽根安芸入道楽雲軒は信濃小諸城の守衛にあたり、また、
長篠の戦いにおける戦死者名に下曽根源七弥左衛門尉の名が残るなど、甲斐武田家の親族衆として重き
をなしていたと考えられる。
天正十年の武田家滅亡後、下曽根氏は徳川氏に仕えて活躍したとされるが、この下曽根氏館がいつまで
機能していたかについては不明である。
実際寺
実際寺本堂
一言 山梨県立考古博物館より西へ約1km、その地に実際寺が建っているが、ここが下曽根氏館跡とされる。
ただ、遺構として裏手墓地の背後に土塁が残るほかは土地の改変により殆ど残っていない。
なお、実際寺西側に小さな水路があるが、往時の堀跡かもしれない。
墓地裏手に残る土塁跡
竹薮内に残る五輪塔