下山城跡
所在 山梨県南巨摩郡身延町下山
交通 JR身延線波高島駅より徒歩15分
歴史 甲斐源氏加賀美遠光の孫光重は建仁年間(1201〜4)下山に入部し、下山小太郎光重と称し、下山城
を築いてて領地経営を行った。
以降、下山氏の統治は数代続くが、室町時代中期には武田氏一族の穴山氏が入部して統治を行う。
戦国時代、穴山氏は武田氏との婚姻政策を取り入れ、親族衆として武田軍に従軍、各地を転戦する。
当主が穴山信君(梅雪)の頃には甲斐武田氏最盛期を迎え、武田軍は駿河を占領、信君は下山統治ととも
に江尻城主を務めている。
その後、武田家没落に伴ない信君は遠江を占領した徳川氏に降伏、武田家滅亡の一因を担うことになる。
武田家滅亡後も信君は旧領を安堵されたが、天正十年(1582)、山城国遊興中に本能寺の変が勃発。
信君は土一揆により落命し、跡と継いだその子勝千代も夭折したため穴山氏は断絶、穴山氏の下山統治
は終わった。
本国寺山門
本国寺正面
一言 下山城跡の城域は現在の本国寺一帯とされている。
が、現在城域には本国寺のほか小学校が建ち、遺構等当時を偲ぶものは確認出来なかった。
本国寺境内
寺域内に明確な遺構は確認出来なかった