清水氏居館跡

所在  静岡県賀茂郡河津町筏場字矢野

交通  伊豆急行線河津駅よりバス三養院前下車

歴史  後北条氏伊豆衆筆頭の清水上野介康英は天正十八年(1590)豊臣秀吉の

     関東侵攻に際し、北条水軍の総大将として鵜島城(下田城)に篭もり秀吉軍

     と対峙した。

     1万余と言われた秀吉水軍に対し、鵜島城の兵は僅か600。

     放棄・逃散が続いた伊豆の諸城に対し、康英は寡兵をよく指揮し1ヶ月近くも

     篭城そして奮戦したが、開城交渉により康英は鵜島城は退去することになる。

     鵜島城を退去した康英及びその子能登守が隠遁生活を送ったのがこの地と

     され、康英は翌天正十九年六月に没したという。

       居館跡西に建つ三養院

一言  清水氏居館は三養院の東隣にあったと伝わるが、現在、その地は墓地・田畑

     そして住宅地に転用され、往時の痕跡を認めることができない。

 

       居館跡は墓地や... 

       田畑・住宅地になっている

 

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