真田隠岐守館跡
所在 山梨県北巨摩郡須玉町大蔵
交通 JR中央本線韮崎駅よりバス新橋下車
歴史 戦国時代、信濃真田地方を領していた真田幸隆は、信濃侵出を進める武田信玄に属して村上義清攻略等、
手腕を発揮する。
その真田幸隆の四男真田隠岐守信尹は、『甲斐国志』によるとこの地に所領を得て館を構えたされる。
なお、信尹がこの地に所領を得た時期について、『武田氏が滅ぶ前』との説・『徳川氏と北条氏が戦った天正
壬午の戦い(1582)後』とする説とがあるが、天正壬午の戦いで信尹は徳川氏に属していたことと、戦中、
周辺の城(若神子・中尾・獅子吼)・大豆生田砦などは北条氏に占領されていたことを考えると、信尹は戦後
に他の知行地より転封してきたのではないかと考える。
真田隠岐守館跡遠望
館跡一帯(右の竹薮が土塁跡)
一言 真田隠岐守信尹館跡は須玉町役場の東の高台に位置する。
周辺は農地・住宅地へと転用されて目立った遺構は残っていないが、農地の中に残された竹薮が土塁跡で、
付近には祠が奉られている。
(当初、場所が確認出来ずに声を掛けさせていただいた人がその畑の所有者の方で、ご丁寧にもその場所まで案内していただいた。
深く感謝します。なお、その地に行くには必ず農地に足を踏み入れなければならないので、注意が不可欠です。)
竹薮内に奉られている祠
周囲は農地(住宅地)に