三枝氏館跡(豊富村)
所在 山梨県東八代郡豊富村木原
交通 JR中央本線甲府駅よりバス豊富村役場入口下車
歴史 三枝氏は古くより甲斐に勢力を持つ豪族であったが、家跡が断絶していたため武田一族の石原丹波守
守綱が三枝氏を継承する。守綱の子、土佐守虎吉はこの地に居館を構える一方、武田信虎に従軍し戦功
を挙げたという。
虎吉の子、勘解由左衛門守友も信玄・勝頼に仕えて重臣の列に加えられるが、天正三年(1575)長篠の
戦いにて戦死してしまう。
のち、三枝氏は武田家滅亡後の天正壬午の戦いで徳川軍に属して活躍し、江戸時代以降も繁栄したとさ
れるが、この三枝氏館がどの時期まで存続していたのかは不明である。
農地に転用された館跡(冬に撮影)
同上(5月に撮影)
一言 三枝氏館は虎吉の菩提所三星院の正面、周囲より一段高くなった丘上にあったとされるが、現在その地
は住宅地・農地へと転用されている。
居館跡中心地には三枝氏を奉った祠、そしてその横には石碑も建っているが、民家敷地・農地ということを
考慮して撮影は自主規制、遠く眺めるだけとした。
祠と石碑が建つ中心地跡
(遠くに見える石碑を撮影したが画像を縮小したら見えなくなったしまった....)
館跡正面に位置する三星院