三枝氏館跡

所在  山梨県北巨摩郡須玉町多麻

交通  JR中央本線韮崎駅よりバス多麻局下車

歴史  三枝氏館の成立について正確なことは解かっていないが、『甲斐国志』によると武田信虎の時に石原

     守綱が三枝氏を再興したことから館の成立もこの前後と思われる。

     武田家滅亡後、三枝氏は徳川氏に属し、江戸時代初期には領主三枝昌吉・守昌親子が住み領地を治

     めていたが、のち守昌は安房国へと転封となる。守昌は屋敷跡を永久に存続させるため信光寺を再興し、

     昌吉の位牌を預けたという。

       八幡社鳥居

       八幡社社域

 

一言  信光寺の南、塩川によって侵食された断崖状に八幡社が建つが、そこが三枝氏館跡とされ周囲には

     土塁跡が残る。

     また八幡社の鳥居付近には小川が流れているが、当時はそれを堀として使用してと考えられる。

     余談であるが八幡社の南側は前述のとおり絶壁で、覗きこむと足の竦む思いである。

       三枝氏館土塁跡

 

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