大平城跡(遠江)

所在  静岡県浜北市大平城山

交通  JR東海道線焼津駅よりバス岡部町役場前下車徒歩30分

歴史  大平城は南北朝時代、浜名湖北東に勢力を張っていた井伊氏が本拠三岳城の支城として築いた。

     井伊氏は後醍醐天皇の皇子、宗良親王を迎えて遠江における南朝勢力の中心として北朝側に抗する

     ことになるが、暦応ニ年7月、高師泰率いる北朝軍はこの大平城を包囲し攻城戦が開始される。

     北朝軍は大平城包囲とともに周辺の井伊氏諸城にも攻撃を仕掛け、鴨江城・千頭峯城等を落城させ、

     翌暦応三年1月には井伊氏の本拠三岳城をも落城せしめ、残るはこの大平城のみとなる。

     その後も井伊氏が守る大平城は北朝軍の攻撃を凌いだが、同年8月、高師泰及び遠江守護仁木義長

     軍の夜襲を受け落城。宗良親王は駿河安倍城に逃れることになる。

     なお、南北朝時代の落城後、大平城が利用されたという記録はない。

       県道沿いに建つ碑と説明板

       城山中腹に建つ石碑

       大平城跡本曲輪跡

一言  大平城跡は浜北市の西、いなさ湖に続く県道沿いに残る。

     比高20m程の丘状城郭で、現在は林と化した本曲輪・副曲輪・出曲輪及び大規模な堀切のほか、空堀・

     土塁もいたるところに確認出来るなど、南北朝時代に利用された城としては非常に保存状態が良い。

       出曲輪跡

       空堀跡

       夏草に埋もれてもなお明確な堀切跡

       麓に建つ五体力神社

     登城時、五体力神社裏手の道を進んだが、時はまさに盛夏で道は雑草により消失。歩を進める度に飛び

     交う蝉の大群。蝉の“降雨”を避け、背丈ほど伸びた草を掻き分け城跡に向かった。

     なお、麓にある案内板の横には整備された道がある。そこから登ればよかった...。

 

     静岡のページに戻る   メインページに戻る