大森城跡
所在 静岡県裾野市深良字城ヶ尾
交通 JR御殿場線裾野駅よりバス深良中入口下車徒歩15分
歴史 大森氏は起源は平安時代末期の藤原北家関白道隆まで溯り、子孫の藤原親家は源頼朝に
仕えて鮎沢荘大森郷に土着、大森姓を称したのが始まりだという。
大森氏は南北朝時代以後、周辺の土豪を支配下に組み入れ、箱根権現の別当職を手に入れる
など着実に勢力拡大を果たしていった。また上杉禅秀の乱(応永23年・1416年)においては
鎌倉公方足利持氏を庇護、その功によって西相模進出を果たすことになる。
十五世紀後期、大森氏頼の頃には最盛期を迎え、太田道灌とともに名将として名を馳せたが、
氏頼の子藤家の代になって伊豆より侵出してきた伊勢新九郎長氏(北条早雲)の奇計により小田
原城を奪われ、以降、没落の道を歩むことになる。
城跡に建つ深良中学校
一言 室町時代初期から中期、大森氏が東駿地方に拠点を置いていた時代の詰城が大森城である。
(大森氏居館跡については幾つか説があり、明確な事は解かっていない)
城地は現在、裾野市立深良中学の校地となり、遺構は全く残っていないという。
関西地方で起きた例の事件以降、「校地に入るのは何かと問題が...」という事で散策を断念。
中学校建設により遺構は消滅したという