大宮城跡
所在 静岡県富士宮市若の宮町・元城町
交通 JR身延線富士宮駅より徒歩15分
歴史 大宮城の正確な築城年については定かではないが、室町時代後期には城郭としての体をなしていたと
考えられている。築城者富士氏は鎌倉時代より浅間神社の神職を務める名家であったが、その一方、
国人領主として富士郡のみならず富士山麓周辺にも影響力を持っていた。
室町時代、富士氏は駿河今川氏に属していたが、戦国時代に入り今川氏が没落すると相模北条氏の
庇護を受ける事になる。
永禄十二年(1569)、駿河に侵出して来た甲斐武田氏の攻撃により大宮城は落城。当主富士兵部少輔
信忠は城を退去、代わって信玄臣下の渡辺豊後が入城した。
その後も大宮城は『甲駿国境の押さえの城』として機能していたが、天正十年(1582)武田家滅亡により
廃城処分となった。
富士宮浅間神社
浅間神社社殿
一言 大宮城は浅間神社東側の丘陵地にあったとされるが、現在は住宅地・公園へと転用されとなって遺構は
全く残っていない。また、城域・構造についても現存する資料が殆どなく、不明な点が多い城跡である。
城域は『城山公園』に
遺構は全く確認できなかった