大倉砦跡
所在 山梨県北都留郡上野原町大倉
交通 JR中央本線上野原駅よりバス鏡渡橋下車
歴史 大倉砦の成立年代については不明である。
永禄年間から天正年間にかけ、武蔵・甲斐国境にあたるこの地一帯は上野原城に本拠を置く加藤丹後守
が支配していたことから、この大倉砦も加藤氏の支配下に組み込まれていたと考えられ、有事の際以外にも
平時は鶴川上流並びに周辺の警護、あきるの市方面に続く街道の監視を行っていたと考えられる。
なお、天正十年(1582)甲斐武田氏滅亡後、加藤氏も武蔵箱根ヶ崎にて滅亡したことから、この大倉砦も
その前後に廃されたと考えられている。
大倉砦遠望
大倉砦主郭跡
主郭部に建つ秋葉権現堂
一言 大倉砦は小倉地区の西、地元で『要害山』と呼ばれる山の頂きにその遺構が残る。
秋葉権現堂が奉られている主郭部の周囲には土塁が走り、主郭を中心に帯郭が確認できる。また、小規模
ではあるが、『コの字』型の虎口も残存している。
要害山へは麓より登る事約25分。山頂に続く道は一応、ハイキングコースとなっているらしいが、途中には畑
があってやや解かりづらい箇所あり。とにかく尾根沿いに上へ。
主郭部の周囲に残る土塁跡
大倉砦虎口部
大倉砦より上野原市街を望む