大畑城跡
所在 静岡県裾野市大畑
交通 JR御殿場線裾野駅より徒歩20分
歴史 大畑城は室町時代後期、葛山氏によって築かれたとされるが詳細は伝わっていない。
葛山氏はこの大畑城より北約2kmに本城となる葛山城を築き、鎌倉時代から戦国時代にか
けて東駿一帯を支配した豪族であり、この大畑城にはその一族が配されていたと推測されて
いる。
葛山氏が支配していた東駿は甲斐・相模に隣接し、今川・武田・北条各氏の係争の地となって
いた状況もあり、葛山氏は主を次々と替える事によって一族を存続を計っていたが、のち没落。
永禄十二年(1569)、甲斐武田信玄の六男が名跡を継ぐ事になった。
以降、この大畑城も武田氏の持ち城となったとされ、一説には『甲州方杉山兵太郎守れリ』と
伝えられるが、この大畑城の廃城年などは伝わっていない。
大畑城跡遠望
大畑城跡主郭跡
堀切跡
東側副郭跡
一言 大畑城跡は黄瀬川と佐野川の合流地点、熊野神社の裏山一帯がその城域である。
川を天然の堀として活用し、比高約40mの小山の頂部を主郭として東西に副郭を配した縄張り
となっている。
そのほか、堀切・帯郭などの遺構も明確に残っているが、特筆すべきは麓の居館跡の土塁であ
ろう。麓にある集会所(公民館?)の裏手から東側に伸びる土塁は、今も高い所で約1.5m程の
高さを残しており、思わず驚嘆の声を上げてしまったほどである。
堀切部(2)
集会所裏手の居館跡土塁
居館跡土塁は今も明確に残っている
城跡麓に奉られている熊野神社