能見城跡
所在 山梨県韮崎市穴山町夏目
交通 JR中央本線穴山駅より徒歩5分
歴史 能見城は室町時代中期より戦国時代にかけてこの地を所領した穴山氏の詰城だったという。
下って天正九年(1581)、武田勝頼は織田氏の侵攻に備え七里岩上に新府城を建設するが、
能見城は新府城の外郭として組み込まれ、整備・拡張されたという。
翌十年三月、勝頼は新府城を放棄し郡内岩殿城を目指すことになるが、能見城もこの際に廃城
になったと思われる。
能見城遠望
能見城址看板と上水施設
一言 能見城跡はJR穴山駅の北、駐車場正面の『能見城跡』の看板が掛かる小山が城山で、比高は
50mほどであろうか。
能見城本丸跡付近には守屋氏発祥の地を記した石碑と「能見城」と記された看板が建っている。
しかし遺構は、上水施設建設及び土地の造成により消滅したとの事で、主だった遺構は確認出来
なかった。
また能見城跡には現在曹洞宗?長峰寺が建っているが、普段は無人のように思われる。
なお、この地は守屋氏の発祥の地ということで、その石碑が建っている。
能見城本郭部
看板横に建つ守屋氏発祥の地を示す石碑
城域に建つ長峰寺