武田信重館跡
所在 山梨県東八代郡石和町小石和字神明
交通 JR中央本線甲府駅よりバス小石和下車
歴史 この地には甲斐第十四代守護武田信重の館跡があったとされる。
信重の父、信満が守護を務めていた頃より甲斐国内は国人逸見・跡部氏の抵抗などにより不安定となっていた。
父信満は上杉禅秀の乱に加担し甲斐木賊にて自刃し、難を逃れるために出家し高野山にいた信重自身も守護とし
て甲斐に入国する事が出来ず、跡部氏の一時的な臣服・室町幕府の要請等により永亨十年(1438)にようやく守
護として甲斐入国を果たしている。
その後も甲斐国内は不安定な状態が続き、宝徳ニ年(1450)十一月、信重が黒坂太郎信光と交戦中、勝山城より
進軍して来た穴山修理太夫満春に背後を衝かれ館は全焼し、信重も付近で自刃したという。
館跡に建つ成就院
武田信重公の墓
一言 現在の成就院が武田信重館跡とされ、院内には町史跡に指定された信重の墓が建っている。
ただ、成就院の周辺は市街地となり、遺構は全く残っていない。