武田信春館跡

所在  山梨県塩山市千野八桑田

交通  JR中央本線塩山駅下車徒歩15分

歴史  甲斐守護が武田信春の代となる頃、甲斐国内は国人領主の抵抗などにより不安定な状態となり、

     文和四年(1355)には南朝側の甲斐国人領主の攻撃を受け、柏尾山に陣取って戦ったとの記録が

     残る。

     また晩年も甲斐各地国人領主の抵抗に悩まされ、応永二十年(1413)の逝去も萩原入の柳沢の堡

     に逃れている時だったという。

       慈徳院正面

       慈徳院

 

一言  現在の慈徳院は甲斐第十ニ代守護武田信春の館跡とされ、境内には信春の墓所も残っているが、

     周辺は住宅地に変わり、特筆すべき遺構は確認出来なかった。

       院内に残る信春公墓所

 

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