韮山城跡

所在  静岡県田方郡韮山町韮山

交通  伊豆箱根鉄道韮山駅より徒歩20分

歴史  駿河興国寺城を所領していた初代北条早雲(伊勢新九郎長氏)は延徳三

     年(1491)に伊豆に侵出し、堀越公方だった足利茶々丸を滅ぼし伊豆全

     土を掌中に収める。

     韮山城はその前後に伊豆支配の拠点として早雲により築かれ、のち大森氏

     が拠る小田原城攻城・相模進出・三浦半島の新井城攻撃の際にもこの韮山

     城より出陣、この地で没するまで後北条氏の本拠だったとされる。

     これよりのち天正十八年(1590)の豊臣軍侵攻の際には北条氏政の弟、美

     濃守氏規が箱根の山中城とともに小田原城防衛の第一線としてこの韮山城

     を守った。

     城兵3千600に対し、織田信雄・細川忠興・蒲生氏郷・蜂須賀家政・福島正則

     を将とする総勢4万4千の大軍で囲むも城兵の士気高く、韮山城は容易に落

     ちない。これに対し豊臣側の徳川家康は朝比奈氏を使者に開城説得、6月24

     日に氏規は投降する。

     このことにより氏規はのちに豊臣秀吉に召し出され、河内(現在に大阪)に

     領地を給される。

     韮山城は家康臣下の内藤信成が治めるが、信成が駿河府中に移封されると

     慶長六年二月に廃城となった。

       韮山城跡遠望

       韮山城本郭跡

       権現郭に奉られている熊野神社

一言  韮山城跡は天城山系北部背稜山脈の西側、標高50mの連郭式丘陵

     城郭である。今は遠くを流れる狩野川が当時は天然の堀の役目を果たし、

     また今も残る東側の池によって本郭への侵攻を阻んでいた。そのほか

     韮山城本城を中心に和田島砦・天ヶ岳砦・江川砦を配すなど一大城砦群

     を構築し、豊臣軍を撃退した。

     城跡には本郭のほか、南西部に大土塁を残すニの郭・熊野神社が奉って

     ある権現郭・堀切・土塁などが良好に残る。

       韮山城跡土塁跡

       土塁に囲まれた南側郭

       東側池と城砦(支城)を望む

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