南部氏館跡
所在 山梨県南巨摩郡南部町南部
交通 JR身延線内船駅下車徒歩25分
歴史 平安時代末期、甲斐源氏加賀美遠光の第三子光行は源頼朝に従い平氏討伐に参加、その功によりこの地に
所領を与えられる。光行は地名をとって南部姓を称し、この地に居館を造営して暫しのあいだ領地経営を行った
という。
のちの文治5年(1189)、光行は再び頼朝に従い奥州藤原氏征伐に参加して戦功を挙げ、奥州に広大な領地
を与えられることとなる。これを機に光行は第三子の実長を波木井に残し、その他の一族を連れて奥州に移住
したという。
その後、この南部氏館がいつまで使われていたかは不明であるが、甲斐南部氏は南北朝時代に南朝方として
活躍したことから、館も室町時代前期までは機能していたと思われる。
南部氏館跡周辺
館跡に残る古井戸(説明板も立っている)
一言 南部氏館跡は南部町市街の北、富士川に面した一画に位置する。
享保時代の記録によると遺構として「土塁・堀の痕跡が認められた」ということだが、現在は住宅地・農地へと
転用され、館にあった古井戸が往時を偲ばせるのみである。
なお、この居館跡より南西約400m、妙浄寺裏手の山に南部氏館の詰城とされる南部城山跡が残っている。
古井戸以外の遺構は確認出来なかった(館跡より詰城の南部城山を望む)