中牧城跡
所在 山梨県東山梨郡牧丘町浄古寺
交通 JR中央本線塩山駅よりバス堀の内下車
歴史 伝承によれば鎌倉時代初期にこの地を治めていた安田義定の居館であったものを弘安年間(1278〜88)
には二階堂氏、また天文年間(1532〜55)には武田信玄の命を受けた大村氏らがが修築したという。
武田氏滅亡後、甲斐は徳川の所領となり、天正十七年(1589)、家康は家臣の内藤三左衛門に命じて中牧城
を大修築したという。
家康関東移封ののち、甲斐国における統治機構は甲府城に集約され、中牧城は廃城になったと考えられる。
中牧城跡本丸跡付近
中牧城跡天守台跡
空堀跡
一言 別名浄古寺城と呼ばれた中牧城は、甲府から秩父に抜ける街道を押える目的で築かれたとされ、比高は
30mくらいであろうか。
現在、城跡は農耕地・墓地になり、旧状が解かりづらい箇所が多々あるが、それでも空堀跡・天守台跡・
土塁跡などが確認できる。
また、二の丸跡付近には城内鎮守八幡社が建っている。
空堀跡(2)
二の丸跡付近に建つ八幡神社