長坂氏館跡

所在  山梨県北巨摩郡長坂町長坂上条

交通  JR中央本線長坂駅より徒歩30分

歴史  甲斐源氏武田氏支流栗原氏から分かれたといわれる長坂氏は十六世紀頃、この地に居を構えて一帯を

     支配したという。

     三代長坂長閑斎は勝頼の側近として仕えるが、武田家の家運は徐々に傾き、天正十年(1582年)織田軍

     の甲斐侵攻により滅亡する。その際、長閑斎も甲府において自害して果てたという。

     その後の館跡に関してだが、『甲斐国志』によると武田家滅亡・本能寺の変後に勃発した徳川・北条氏に

     よる甲斐争奪戦(天正壬午の戦い)にて北条軍がこの館跡を修築したとされているが、疑問視する意見もある。

       長坂氏館跡遠望

       長坂氏館土塁・空堀跡

一言  館跡は長閑原とよばれる台地に残り、館跡及び周囲は鬱蒼とした森林と化している。

     訪れた時はちょうど初夏で、夏草のため遺構が確認しづらかったが、それでも方形の土塁と空堀、南側の虎口

     等の遺構が確認できた。

     なお、『日本城郭大系』に記述されている穂見十五ヶ所明神社はここより北西約500m付近にある。

       館跡南側虎口部

       館跡北西に位置する穂見十五ヶ所明神社

 

      前のページに戻る   メインページに戻る