本栖城跡
所在 山梨県西八代郡上九一色村本栖
交通 富士急行鉄道富士吉田駅よりバス上九一色中入口下車
歴史 この本栖城跡近くを通る街道は古来より『中道往還』と呼ばれ、駿河と甲斐を最短距離で結ぶ街
道として人々に利用され、また経済・軍事的に重要視されていた。このような街道に監視の目的で
城が築かれるのは必然であり、本栖城もその様な背景から築城されたとされる。
なお甲斐国志には「里人 源吉春と云うの城と云伝ふれども、其の人未だ考えず。天文・永禄中、
武田の文書に本栖城云云と見えたるは、此処に籠め置く国境警備の士なり。天正壬午の年、渡
辺囚獄佑之に拠る」とあり、戦国末期までこの本栖城が機能していたことは明白である。
本栖城跡登り口と説明板
木々に覆われた本郭部
堀切部
一言 本栖城跡は烏帽子岳から延びた標高1,056mの山中に残り、比高は50m程であろうか。
国道139号に面する麓から約20分ほどで本郭部に到達でき、遺構としては数ヶ所の郭跡の他、
堀切・石積みを利用した烽火台跡などが確認できる。
山頂部にある巨石を巧みに利用し、本郭に到達するためには堀切の中を通らなくてはならない
(城兵に身をさらすことになる)など、防御体制についても良く考えられていたようだ。
なお本栖城跡の麓には苔むした礎石跡が残り、この礎石は街道を監視する陣屋・関所跡ではない
かと考えられる。
苔むした麓礎石群
石積が残る烽火台跡