見附城跡(見附端城跡)

所在  静岡県磐田市見附

交通  JR東海道線磐田駅よりバス北小下車

歴史  見附城は室町時代初期、遠江守護今川範国によって築かれたとする説が有力である。

     今川範国は北朝側の武将として各地を転戦し、その戦功により元弘三年(1333)に遠江、

     延元二年(1337)には駿河の守護に任ぜられ勢力拡大を計っていった。

     のち今川氏は駿河侵出、そして駿河を支配下に収めると拠点を府中館(今の静岡市内)

     に移し、この見附城は範国の次男で今川貞世並びにその子らが遠江今川氏として引き継ぐ

     事になる。

     下って今川氏輝死後のお家騒動では当時の見附城城主で遠江今川当主・今川貞世は今川

     義元と対立し、義元は天野虎景に命じてこの見附城を攻めさせたとする記録が残っている。

     なお、廃城期については永禄年間とされている。

       見附城跡に建つ大見寺の山門

       大見寺院内

一言  見附城跡は磐田市街地の北、奈良時代には国分寺が建設されるなど遠江の中心地に

    位置していた城である。(国分寺跡はこの見附城跡の南西約1km)

    見附の地は江戸時代には宿場町として栄え、また、現在は市街化に伴なって城の遺構は

    殆ど残っていないが、大見寺の一画に当時の土塁跡が残っている。

    なお、大見寺には「見附城絵図」が残されており、それによると南北に2つ、周囲に土塁を

    巡らした方形の館を配置した縄張りで、大見寺は南側館跡に建っている事になる。

      大見寺内に残存する土塁跡(墓石の裏側)

      同上

 

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