御坂城跡
所在 山梨県南都留郡河口湖町御坂峠
交通 JR中央本線甲府駅よりバス天下茶屋下車
歴史 天正十年(1582)三月、武田氏が滅ぶと甲斐は織田氏の支配下に置かれ、信長家臣河尻秀隆
が治めることになるが、本能寺の変により信長が死ぬと甲斐国内では土一揆が勃発。秀隆は民衆
によって殺されてしまう。
この混乱の中で甲斐の覇権を巡り北条氏と徳川氏が対峙することになる。世にいう「天正壬午の
戦い」である。
この戦いの中で北条氏は古くから鎌倉街道の要衝として峠を押える砦が置かれていたこの地を大
修復し、甲斐侵攻の拠点とした。
同年八月、北条軍約1万はこの御坂城より出撃し古府中に兵を進めるが、途中、小山・勝山城付近
にて徳川兵に撃退される。また、甲斐国内各所においても徳川氏を上回る兵力を擁しながら徐々に
劣勢に陥り、のちに北条氏は徳川氏と和睦。甲斐より撤退することになる。
これにより御坂城は廃城になった。
御坂峠平作削平地にある説明板
御坂城跡土塁と空堀
夏草に覆われた土塁跡
一言 御坂城跡は「日本で一番高所にある城跡」とされる。
城跡は御坂峠を押える形で築かれ、また古府中(甲府方面)に対するように土塁・空堀が残ってい
る。その規模は思いのほか広範囲にわたり、そして保存状態も良い。特に土塁の高さは今でも往時
を偲ばせるに十分である。
城跡に奉られている祠
城跡からの眺望は格別
初夏、バス亭のある天下茶屋(太宰治の富嶽百景のモデル地らしい)より「御坂峠まで60分」の標識
を頼りに登城を開始。が、しかし、歩けど歩けど城跡に辿り着けず。結局、90分以上も山道を歩いた
だろうか。キツイ。非常にキツかった。ペットボトルの飲料はどんどん減っていくし。時より木々の間か
ら覗く絶景がせめてもの慰めだった。ともあれ、この城を登城する方はそれなりの装備と覚悟で。