真篠砦跡

所在  山梨県南巨摩郡富沢町福士字真篠

交通  

歴史  真篠砦は天文から永禄年間(1532〜1569)ににかけ、武田信玄の命により築かれたとされ、

    その目的は駿河に繋がる富士川沿いの街道の監視・烽火台としての利用が考えられている。

    砦の守備には原大隈守・真篠勇太夫らが務めたというが、天正十年(1582)、武田氏滅亡により

    真篠砦も廃されたと考えられる。

      真篠砦跡遠望

      真篠砦本郭部

      本郭部にある祠

一言 真篠砦は真篠集落の北西、現在城山とよばれる標高260mの地に残る。

    本丸の周囲には土塁が走り、食い違い虎口のほか二の郭・三の郭・堀切・空堀などが確認できる。

    城跡には植林がなされ、『植林時に整地をした』と考えられなくもないが、その縄張は非常に明確であり、

    特に本丸から二の丸にかけての絶壁は目を見張るものがある。

    正直、『砦跡』ということであまり期待はしていなかったのだが、なかなかどうして。

    山城好きな方は是非とも訪れて欲しい。

    ただ、周辺は木々に覆われ昼間でも薄暗い。

      真篠砦空堀跡

      本郭部よりニの郭部を望む

    余談であるが、この砦跡への登り口を地元の人に伺ったところ、その方が山の持ち主で、丁寧にも

    砦跡までわざわざ連れていってくれ、なおかつ案内していただいた。感謝、ただ感謝。

 

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