丸子城跡

所在  静岡県静岡市丸子

交通  JR東海道本線静岡駅よりバス吐月峰入口下車

歴史  室町中期、駿河を統治していた今川氏親は西より駿府に入るところに位置

     する丸子の地を重要視し、泉ヶ谷に住んでいた重臣斉藤加賀守安元の居城

     だった丸子城を接収して一大城郭を築く。

     氏親接収以降、丸子城は氏輝・義元・氏真とその統治は続くが、永禄十一年

     (1568)十二月、甲斐武田軍により駿河府中は焦土と化し、丸子城は武田氏

     の手に落ちる。信玄は今川残党の押えとしてこの丸子城に重臣山県昌景を配

     置する。

     永禄十三年(1570)駿河全域を平定した信玄は、諸賀兵部大輔・関甚五兵衛・

     屋代勝永らを城番として置き、丸子城の更なる改築を図るが、天正九年(1581)

     武田氏の勢力減退により徳川氏に無血開城した。

     のち、家康が駿河より江戸に移るにあたり自然廃城となったとされる。

       丸子城遠望

       本郭(南城・千畳敷)跡

       今川氏時代の本郭(北城)跡

 

一言  丸子城跡は後年、方広寺事件に名を残す片桐且元の墓がある誓願寺の前方

     に残る。

     標高130mほどの山城で、誓願寺付近よりハイキングロードとして整備されて

     おり、また比高もあまりないことから比較的登りやすいのではないか。

     今川氏時代は北城を本丸としていたが、武田氏統治後は南城(千畳敷)を本丸

     とし、更に大土塁や武田氏築城法の三日月堀を築き、その増強を図ったとされる。

     城跡自体の保存状態は非常によく、ハイキングロードより一歩奥に入ると、前述

     の大土塁が広がり、その状景は圧巻である。また、縄張も非常にわかりやすい。

     城跡巡りを趣味とする人ならば、是非とも訪れて欲しいお勧めの城跡である。

       二の丸跡

       三の丸跡

       堀切跡

       大土塁跡

       城跡近くに建つ誓願寺

 

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