大豆生田跡
所在 山梨県北巨摩郡須玉町大豆生田
交通 JR中央本線韮崎駅よりバス大豆生田下車
歴史 天正十年(1582)本能寺の変後、甲斐国内では土一揆が勃発し、甲斐を統治していた織田家重臣河尻
秀隆は民衆の手により誅される。
これにより空白地となった甲斐を巡って北条氏と徳川氏が甲斐国内に進軍、対峙することになる。
世にいう『天正壬午の戦い』である。
佐久方面から進軍した北条氏直率いる主力軍は若神子城に本陣を置き、周囲の諸城に兵を配したが、この
大豆生田砦は新府城に本陣を置いた徳川氏に対する最前線として修築されたという。
兵力で徳川氏を圧倒する北条氏ではあったが、『黒駒合戦』にて敗れ、この大豆生田砦、そしてこの地より
北東に位置する獅子吼城が落ちると戦意を喪失、徳川氏に和議を申し込み甲斐より撤退する。
これにより甲斐は徳川氏の掌中に収まることとなる。
大豆生田砦跡
砦跡近くに建つ『題目大宝塔』(1853建立)
一言 別名「島崎の城」又は「藤巻氏屋敷」と呼ばれていた大豆生田砦は若神子城の南、須玉川と塩川の合流
地点にあったとされる。
ただ現在は中央道須玉インターの建設、そして住宅地・農地への転用により遺構は確認できなかった。
(因みに大豆生田は『まみょうだ』と読みます。)