久能山城跡
所在 静岡県静岡市根古屋
交通 JR東海道本線清水駅よりバス久能山下下車
歴史 南北朝期、有渡郡入江荘の在地領主入江駿河守は南朝側に属し、
久能山寺域を城郭として北朝側の今川氏に対抗する。が、形勢は悪化
をたどり入江氏は分和ニ年(1353)以降、今川範氏が駿河中央部を
平定するにあたりその支配化に組み込まれることとなる。
その後、今川氏の支配が続くが当主氏真の時、武田氏によって駿河に
おける支配権を失う。信玄はこの地を城郭としてさらに発展させ、駿河湾
の海上権を握る城として重視した。
天正六年(1578)頃より徳川氏の圧力が強まり、同十年(1582)3月、
徳川氏の包囲により開城。のち、徳川氏・豊臣氏そして再び徳川氏とその
支配者を変え、廃城となった。
久能山東照宮正面
東照宮正門
一言 元和二年(1616)4月17日、家康が死去するとその遺言により遺骸をこの
久能山に葬り、東照宮を創建することとなるが、城跡は現在の久能山東照宮
にあたる。
現在東照宮本殿が建つところが本丸跡とされるが、神域として改築されたこと
から城跡としての遺構を窺い知ることは出来ない。
標高200mで、東照宮参道の階段はとにかくきつい。
但し、そこからの眺望は素晴らしく、駿河湾が一望できる。
城跡より駿河湾を望む