久野城跡

所在  静岡県袋井市鷲巣

交通  JR東海道線袋井駅よりバス袋井商高前下車

歴史  久野城は在地領主久野宗隆が築いたとされ、その年代は明応年間とも、永正年間

     とも言われる。

     久野氏は平安時代末に駿遠地方各地に勢力を振るった藤原南家為憲流の一人を遠

     祖とし、宗隆の孫、元宗の頃には今川氏の配下に属していた。

     永禄三年(1560)桶狭間の合戦にて今川義元とともに元宗が討死すると、跡を継いだ

     元宗の弟、宗能は徳川家康の旗下に入って掛川城・高天神城攻撃、小牧長久手の戦

     いにて戦功を立てる。

     天正十八年(1580)、家康関東移封により久野氏は下総(千葉県)に移封されると久野

     城には松下之綱が入り、次いで松下重綱が城を治めるが、幕府の許可を得ずに石塁を

     築いたことにより転封、久野宗能が再任され久野城に入る。

     のち、下野富田から北条氏重が一万石でこの久野城に入城するが、氏重が下総関宿

     に移封となると正保元年(1644)、久野城は廃城処分となった。

       久野城跡遠望

       本曲輪跡

       井戸跡

一言  久野城は標高34mの独立丘陵を利用して築かれた丘城で、本丸を中心に階段状に

     曲輪を配している。

     久野城は標高こそ低いが、当時、周囲は水田地帯(城の東南部はいまでも田畑)で、雨

     季になると城はさながら「水面に浮かぶ孤城の態」をなしたという。

     城跡は久野城址保存会・袋井市教育委員会により整備され、土塁・井戸・二の丸・三の丸・

     北の丸等が良い状態で保存され、その縄張りも非常にわかりやすい。

     なお、東名自動車道からも城跡に掲げられた大きな看板により、その位置を確認出来る

     のではないか。

       曲輪を分断する堀切     

       北の丸付近

 

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