小山城跡
所在 山梨県東八代郡八代町高家
交通
歴史 小山城の成立年代については不明な点があり定かではない。
『甲斐国志』において城の記述が初めて現われるのは宝徳ニ年(1450)のことで、「穴山伊豆守がこの
城に居住し、小石和の武田信重の館を攻めた」と記録されている。
また、小山城を継いだ穴山伊予守信永は大永三年(1523)三月に鳥坂峠を越えて侵入してきた南部下
野守と花鳥山で交戦、小山城に篭もり防戦したが利あらずして常楽寺に落ちて自刃 したとある。
その後、城は南部氏によって守られていたが、天文十七年(1548)武田晴信の為罪を得て城を捨て廃
城になった。
のちの天正十年(1582)、甲斐における『天正壬午の戦い』では徳川氏臣下の鳥居彦左衛門により修築
されたとの記録が残っている。
小山城跡石碑
城跡内部
一言 小山城跡は浅川扇状地北端の小丘を利用して築かれた平山城で、一辺約80m・高さ約5mの高土塁に
よって四方を固めている。一部、破壊により欠損しているが概ね保存状態がよく、北側には堀跡、西側・南
側には外部からの侵入を阻止したと思われる低土塁等の遺構も残っている。
なお土塁内部は整地され(ゲートボール場?)、遺構を望むべくも無い。
土塁の上に築かれた休憩所
城跡内部より欠損した土塁を望む
高土塁外側の堀