甲府城跡

所在  山梨県甲府市丸の内

交通  JR中央本線甲府駅より徒歩10分

歴史  天正十年、武田氏滅亡・織田信長横死後の甲斐争奪戦において北条氏に勝利した徳川

     家康はこの地に築城をはじめる。

     『一条小山』と呼ばれていたこの地は元々一条忠頼の館跡で、その後、尼寺一蓮寺が置か

     れていた。(なお一蓮寺自体、躑躅が崎館を守る砦として機能していたようである)

     築城途中、徳川家康関東移封により一時期羽柴秀勝・加藤光泰らが城主となるが、江戸

     幕府開幕により徳川の天下が決まると、家康は江戸城防衛の外郭として甲斐国を重視、

     慶長八年には九男義直を配する。

     慶長十八年、義直が尾張に転封となると幕府の直轄地となり、その後、徳川家光の弟忠長

     が入城する。のち、徳川綱重・綱豊、柳沢吉保・吉里らが城主となるが、享保九年以降は

     再び幕府の直轄地となり甲斐勤番の支配下におかれることになる。

     明治元年に廃城。

       甲府城遠望

       台所門

       甲府城より武田神社方面を望む

一言  甲府城はJR甲府駅の東側に位置し、別名を「舞鶴城」「一条小山城」とも呼ばれる。

     城跡は明治時代の鉄道敷設、県庁建設等の市街地化に伴ない城域の大部分が破壊される

     が、天守台・本丸・二の丸跡等が残り、その石垣は荘厳である。(天守台跡は残るが、甲府城

     に天守閣が造られることはなかった)

     なお、この写真撮影時はちょうど城跡の改修工事が行われて、本丸前面にある水掘からは水

     が抜かれ、稲荷曲輪跡には工事の事務所が置かれていた。

       甲府城天守台跡

       水を抜かれた水堀

       工事中だった稲荷曲輪

 

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