北松野城跡

所在  静岡県庵原郡富士川町北松野

交通  JR身延線芝川駅よりバス堀の内下車

歴史  北松野城の正確な築城年については不明であるが、築城は室町時代初期にこの地に所領を得ていた

     荻次郎左衛門尉氏誉によってなされたとの説が有力である。

     荻氏四代目浄誉は応仁の乱で東軍細川方に属して戦功を立て、対馬守に任ぜられるなど名声を得る

     ことになるが、室町時代中期以降、駿河において今川氏の支配体制が整うと荻氏も今川氏の支配下に

     置かれる事となる。

     大永元年(1521)には今川氏重臣福島正成に従軍して甲斐侵攻を行っているが、この戦いで五代慶徳

     は戦死、跡を継いだ六代清誉もかわって駿河に侵攻してきた武田信玄によって討たれるなど、不遇な

     時代が続いた。

     のち荻氏は穴山梅雪に仕えて松野郷五百貫を所領を安堵され、天正十年(1582)の武田氏滅亡後は

     徳川氏に仕えて子孫は幕末に至ったという。

       北松野城跡本丸跡

       北松野城跡二の丸跡

       本丸周囲に残る帯郭

一言  北松野城は富士川の支流、有無瀬川を南にひかえた東西に伸びる舌状地に位置している。

     城域は本丸跡を中心に東側に二の丸を配し、本丸の周囲には帯郭が走っている。本丸の周囲には約1

     ~1.5mほどの土塁が巡っており、また、尾根が続く西側には堀切が確認できた。一部鉄塔が建つなど

     土地の改変がなされているが保存状態は良好である。(というより普段は人があまり訪れないらしく、鉄塔

     付近以外は特に整備されていない)

     ところで、二の丸真下付近に神社が建っており、当初その地より登城を目指したがとんでもない崖地。

     地元の人に聞いても「道はない」との事。最終的には『リバー富士カントリークラブ』に続く道路の途中より

     降るような形で城域に足を踏み入れた。帰りは来た道を戻ったが、北側民家付近に登り口があるようだ。

       城跡西側にある堀切跡

       二の丸下に位置する神社

 

     静岡のページに戻る   メインページに戻る