吉川氏館跡
所在 静岡県静岡市清水吉川
交通 静岡鉄道狐ヶ崎駅下車徒歩20分
歴史 戦国時代、安芸毛利氏の有力国人衆として活躍した吉川氏の出自は駿河豪族の入江氏と
され、寿永ニ年(1183)頃、初代吉川経義がこの地に所領を与えられ館を構えたとされる。
鎌倉幕府を開幕した源頼朝の死後、幕府御家人達の政争が勃発。当主吉川小次郎友兼は
京に向かう梶原景茂を討ち取るが、自らも交戦時の傷により没している。友兼の子朝経は亡父
の戦功により播磨国福井庄に領地を与えられ、承久三年(1221年)の承久の乱では宇治橋
合戦の活躍により安芸国大朝本荘の地を与えられるなど、吉川氏はその名声を高めていった。
のちも吉川氏はこの地より播磨・安芸の領地を支配するが、五代吉川経高のときこの地より
大朝庄に移住したという。
吉川氏館跡
吉川氏の墳墓
一言 吉川氏館跡は国道1号線の小糸製作所の裏手、製作所より北に約200mほどの地点一帯が
その地とされる。
西・東・南に堀を設けた単郭式の方形館と伝わる館跡は、土地の変革に伴ない全く旧態を残して
いない。ただ、館跡地に四散していた墳墓を一つに纏めた一画が残されており、その墳墓と案内板
のみが館跡を示している。
石碑
特筆すべき遺構は残っていない