河津氏居館跡
所在 静岡県賀茂郡河津町谷津字館之内
交通 伊豆急行線河津駅下車徒歩7分
歴史 藤原家の流れをくむ狩野氏の出身である河津三郎祐泰は平安時代末期、この
河津庄を治めていたとされるが、安元ニ年(1177)十月、同族である工藤祐経
の家来によって暗殺されてしまう。祐泰と祐経との間には領有に関する対立が
あったことから、それが暗殺の要因とされている。
この暗殺事件ののち一族はこの地を離脱、祐泰の遺児2人は曽我祐信によって
育てられ、元服後は曽我十郎祐成・五郎時致と名乗ることになる。
建久四年(1194)、祐成・時致兄弟は源頼朝に従って富士の巻狩りに参加した
工藤祐経の陣屋を強襲、見事仇討ちを果たしたという。
居館跡に建つ河津八幡神社
境内に遺構はない
一言 河津駅より南西へ約300mほど進んだところにある河津八幡神社は河津祐泰
の居館があったとされる。
現在、遺構は全く確認出来ないが、河津祐泰が持ったとされる『力石』が奉られ、
力石を持った河津三郎祐泰像が建っている。
なお『曽我の仇討ち』は、赤穂浪士・伊賀上野の仇討ちと並び日本三大仇討ちの
一つとされている。
河津祐泰が持ったとされる『力石』
重さが伝わってくるような河津三郎祐泰像