勝沼氏館跡
所在 山梨県東山梨郡勝沼町勝沼字御所
交通 JR中央本線勝沼ぶどう郷駅より徒歩20分
歴史 武田信虎の同母弟、次郎五郎信友は甲府盆地の東に位置するこの地に所領を得て勝沼姓を名乗る。
信友は郡内小山田氏の監視を行う一方、当時不安定だった信虎の政治基盤を忠実に補佐し、信虎から
絶大なる信頼を得ていたが、天文四年(1535)北条氏綱との戦いにて戦死してしまう。
跡を継いだその子信元も親族衆の筆頭として信濃小笠原氏攻略・川中島合戦等に参陣し戦果を挙げるが、
永禄三年(1560)、武州秩父の藤田右衛門尉と通じたことが露見し、信玄により誅されることになる。
このことにより勝沼氏は滅亡。館はのちに廃されたという。
説明板と石碑
復元された土塁と門
空堀跡
一言 勝沼信友は甲府盆地を一望できるこの地に館を築き領地経営を行ったが、この地は相模・武蔵方面からの
街道が走る要衝で、それらを押える任を得ていたとされる。
現在、館跡は勝沼氏館跡として整備され、堀・土塁・木橋・建物の礎石等が復元されている。特に周囲を囲む
土塁は高く、防御中心とした中世武将館跡として一見の価値がある。
なお、昭和48年から行われた発掘調査では建物跡・土塁・溝跡が検出された他、土器・古銭・硯・漆器などが
数多く出土したという。
昭和56年、国史跡指定。
館跡内部
土塁頂部より館跡内部を望む
復元された橋
周囲を囲む土塁は高さを誇る