岩崎氏館跡
所在 山梨県東山梨郡勝沼町下岩崎
交通 JR中央本線塩山駅よりバス上岩崎四ツ角下車
歴史 岩崎氏は武田信光の子、信隆が岩崎氏を名乗ったことに始まるという。武田家始祖信義は韮崎市
武田に本拠を置いたが、その子息は甲府盆地に居を移し、岩崎氏はこの地に館を構えたとされる。
鎌倉時代から室町時代前半に関する記録が少ない甲斐国史において、岩崎氏の名は至るところで
確認でき、生山系図によると甲斐源氏の棟梁職を現す御旗・楯無鎧を八代にわたり相伝し、岩崎直
信のとき守護武田信重に伝えたとされ、また『吾妻鏡』(寛元年間)・『大善寺文書』(正中年間)にその
名が出てくる。
長禄元年(1457)から同ニ年にかけて起った守護武田信昌と守護代跡部景家の戦いでは岩崎小次
郎・源太郎が討死したとされ、岩崎氏は滅亡の危機に瀕したという。
岩崎氏館跡と案内板
道路等建設で遺構は確認できなかった
一言 岩崎氏館跡は国道20号バイパス建設よる破壊、また田畑に転用されてその地に館跡があった
ことは道路脇の案内板が示すのみである。
ただ、建設にあたり行われた発掘調査では陶磁器等が発見されたという。
ぶどう園となっている案内板の裏手