岩殿城跡

所在  山梨県大月市賑岡町岩殿山

交通  JR中央本線大月駅より徒歩20分(駅から山頂まで1時間くらい)

歴史  9世紀末、天台宗の円通寺として開創された岩殿山に城が築かれたのは戦国大名領国制が

     確立した16世紀の初頭とされる。

     岩殿城は武蔵・相模に備える戦略上の拠点として重要視されていたとされ、武田氏は国人小山田

     氏にこの城の統治をさせ、また小山田氏は武田氏に従属し各地を転戦、武田氏の重臣として活躍

     する。

     のち、武田氏が勝頼の代となると武田氏の家運が傾き、次第に織田・徳川氏の圧力を受けること

     になる。

     天正十年(1582)、いよいよ両軍の侵攻が始まり武田勝頼は新たに築いた新府城を放棄、この

     岩殿城を目指すことになる。当時の城主小山田信茂は当初、勝頼一行を受け入れる準備をして

     いたが、変心して勝頼一行に対し入領拒絶を示した。

     この為勝頼一行は笹子峠を越えることが出来ず進退に窮し、天目山麓の田野で織田・徳川両軍と

     交戦、ついに滅亡する。

     武田氏滅亡後、小山田信茂も織田氏に切腹を命じられ、小山田氏(武田氏)の支配が終わる。

     岩殿城はその後、織田氏から北条氏に支配が移るが、徳川支配体制が確立した17世紀初頭に

     廃城になった。

       岩殿城遠望

       岩殿城本丸跡

       アンテナが建つ烽火台跡

一言  JR大月駅の北側、岩肌をむきだしにした山が岩殿城跡で、中央高速道もその山裾を通っていて

     いて、その威容を見た人も多いのではないか。

     城の前面にある桂川を天然の堀とし、急峻な山を利用した典型的な山城で『甲陽軍艦』によると

     駿河久能城・上野吾妻城と並んで三名城とされる。

     遺構としては本丸・二の丸・三の丸・烽火台・大手門・番所・井戸等の跡が残り、また麓には公園地

     として整備され、木造櫓を模したプラネタリウムが建つ。(頂上にはアンテナ台が建つなど一部遺

     構が破壊されているが、概ね良好に遺構が残っている)

     頂上は大月市街を一望でき、非常に景色が良い。

     大月駅より徒歩で登る人はそのまま正面大手の道を歩くのが良いかもしれないが、車の人は山

     の裏側にも登山道があるので、そこに車を止めて登ると幾らか楽かも。

       岩殿城門跡

       本丸裏手の井戸跡

       城跡からの展望は素晴らしい

 

    小山田信茂は裏切り者として評価は低いが、勝頼一行を受け入れた際の(織田軍に領地を蹂躙

     され)領民への危害を想像すれば、また、小山田氏の武田氏との関係(あくまでも小山田氏は郡内

     領主として領内の統治を甲斐武田氏支配体制と違う形で行っていた点)を考えれば致し方無かっ

     たのかもしれない。ただ、時期があまりにも悪いが...。

 

     岩殿山には過去にも何回か登った時があるのだが、この画像撮影時は無謀にもローファーの靴で

     登山。ヒドイ目に遭った。山城をなめてはいけない。

 

      前のページに戻る   メインページに戻る