深草館跡
所在 山梨県北巨摩郡長坂町南新居
交通 JR中央本線長坂駅下車徒歩40分
歴史 深草館の成立は平安時代の後期(1156年頃)に谷戸城の出丸として築かれたとの説、そして室町時代
後期頃に築かれたとの説、2つの説がある。
平安時代成立説の根拠として、谷戸城城主逸見光清の長子太郎光長・元義父子とその子10代が居住した
との伝承が残っており、一方、室町時代後期成立説の根拠としては「甲斐国志」に『堀内下総守、深草城墟
ト云所アリ』との記述があり、堀内下総守は室町後期に生きた人物である事から、これが深草館の室町時代
後期成立を示すものだとされている。
いずれにしても甲斐武田氏滅亡後、深草館は甲斐に侵出した北条氏に接収され、対徳川の駐屯地として
利用されたが、北条氏撤退後にその機能を終えたと考えられている。
深草館
深草館主郭跡
主郭部より副郭を分ける土門跡を望む
一言 深草館跡は谷戸城跡の南、約1.5kmに位置している。
遺構としては東西50m・南北130mの範囲に主郭・副郭が残り、郭の周辺を深さ約5mの堀が取り巻いて
おり、郭の周囲には約1〜2mの土塁が取り囲んでいる。また、主郭と副郭を分ける土塁・そして土門跡も
明瞭に残っている。
なお、1980年に行われた発掘調査では15世紀〜17世紀の遺構・遺物が数多く出土したという。
深草館副郭跡
郭の周囲を走る土塁は今も明瞭に残る